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中学歴史ゴロ暗記

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歴史の授業は覚えることがたくさんあって大変ですよね。
いつ、どこで、誰が、何を、なぜ?
いろんなことを覚えないといけません。
そんな歴史も、まずはゴロを使って年代だけでも頭に叩き込むと理解が早くなるんです。ここではそんな年代を覚えるコツです。早速いってみましょう!

57年:こんな【57】金印でも欲しい

⇒ 倭の奴の国王が後漢に使者を送り『漢委倭奴国王』の金印を授かる。

239年:卑弥呼にサンキュー【にさんきゅー239】親魏倭王

⇒ 卑弥呼が魏に使者を送り【親魏倭王】の称号と金印を授かる。

538年:百済の仏にご参拝【ごさんぱ538】
⇒ 百済より仏教が伝来

593年:国民【こくみ593】喜ぶ太子が摂政。
⇒ 聖徳太子が推古天皇の摂政になる。

603年:12階から群れ見【むれてみ603】て
⇒ 冠位十二階の制定。

604年:十七条憲法に群れ寄る【むれよ604】
⇒ 十七条憲法の制定

607年:無礼な【ぶれいな607】妹子、煬帝激おこ!
⇒ 遣隋使の小野妹子を隋に送る。

618年:唐がロイヤル【ろいや618】中国統一。
⇒ 隋の煬帝を倒し唐が起こる。

622年:無事に【ぶじに622】天国、聖徳太子。
⇒ 聖徳太子が死去。

630年:蒸され【むされ630】て海渡る、遣唐使(第一回)。
⇒ 第一回遣唐使を唐に派遣。

645年:蘇我氏を倒して蒸米【むしごめ645】おいしい。
⇒ 大化の改新始まる。

646年:むしろ【646】重要、改新の詔。
⇒ 大化の改新の翌年、改新の詔が発布され律令国家へ。

652年:婿に【むこに652】頼まれ班田収授法。
⇒ 班田収授法の実施。

660年:ムムッ終【660】わった百済滅亡。
⇒ 百済が唐と新羅の連合軍によって滅ぼされる。

663年:む、無残【む、むざん663】な敗北、白村江(はくすきのえ)。
⇒ 白村江の戦いで日本軍が唐・新羅連合軍に敗北。

627年:無難に【ぶなんに672】天武、壬申の乱。
⇒ 壬申の乱で大海人皇子が勝ち天武天皇となる。

676年:ロクな村【676】新羅が統一。
⇒ 新羅が唐を追い出し朝鮮半島を統一

684年:狼狽し【ろうばいし684】ても八色の姓。
⇒ 天武天皇により八色の姓の制定(姓の再編成)

689年:無役【むやく689】はいらぬ、きよみはら。
⇒ 飛鳥浄御原令(アスカキヨミハラリョウ)の施行。作成は天武天皇、施行は持統天皇。

694年:向くよ【694】そっちに藤原京。
⇒ 藤原京に遷都。日本最初の本格的な都城制の都。

701年:名を広【なおひ701】めた大宝律令

⇒ 大宝律令の制定。藤原不比等らが編纂。

708年:お金になれや【708】和同開珎

⇒ 日本最古クラスのお金、和同開珎が鋳造された。

710年:なんと【710】立派な平城京

⇒ 平城京に遷都。(藤原京より)

712年:ナイツ【712】もびっくり古事記の編纂

⇒ 日本最古の歴史書、古事記の編纂。

713年:風土記は5つしか無いさ【713】

⇒ 地方の歴史や文物を記した地誌である風土記の作成命令。5つしかない。

718年:大差無いや【718】養老律令

⇒ 大宝律令と大差がない養老律令の制定。これも藤原不比等ら。

720年:何を【720】書こうか日本書紀

⇒ 歴史書、日本書紀。舎人親王を中心に編纂。

723年:三世一身の法って何さ【723】

⇒ 新たに開墾した水田は3代に限り私有を認める法令。

729年:なにくそ【729】藤原兄弟!長屋王を殺す

⇒ 長屋王の変。藤原四兄弟によって滅ぼされた。天皇中心の政治の終わり。

741年:国分寺を作りなよい【741】

⇒ 国分寺建立の詔。

743年:なじみ【743】の開墾、墾田永年私財法

⇒ 開墾した土地の永久私有が認められる法令。荘園ができる。

743年:なじみ【743】の大仏、廬舎那仏(るしゃなぶつ)

⇒ 大仏造立の詔。いわゆる奈良の大仏。

752年:奈良のごつい【752】大仏開眼

⇒ 東大寺で大仏の開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。

754年:7年越し【754】で鑑真来日

⇒ 鑑真がなんとか唐より来日。唐招提寺を建立。

757年:施行まで長うなった【757】養老律令

⇒ 大宝律令と大差ないや【718】の養老律令がついに施行された。

764年:泣き虫【764】仲麻呂、反乱失敗

⇒ 藤原仲麻呂の乱。事前に察知されて失敗。

784年:名は知らん【784】けど長岡京

⇒ 桓武天皇が平城京から長岡京に遷都。滞在10年で平安京へ。

792年:泣く兄ちゃん【792】を健児(こんでい)に採用

⇒ 健児(こんでい)は、奈良時代から平安時代における地方軍事力として整備された軍団。諸国に設置。

794年:泣くよ【794】ウグイス平安京

⇒ 桓武天皇が長岡京から平安京に遷都。平城京と同様に唐の長安を習って作られた。

797年:泣くな【797】アテルイ、田村が征夷大将軍

⇒ 坂上田村麻呂が征夷大将軍となり蝦夷征伐を行う。

802年:やれやれ荷物【やれに802】かかえて蝦夷平定

⇒ 坂上田村麻呂が東北の蝦夷を平定。

810年:やっと【810】終わった薬子の変

⇒ 藤原薬子の変。平城京再遷都を企てた。

838年:闇は【やみは838】深い・・・最後の遣唐使派遣

⇒ 前年、前々年と失敗し最後の遣唐使派遣となった。

842年:早うに【はように842】排斥、承和の変

⇒ 謀反を企てたとされた人物が隠岐や伊豆に流された。藤原氏の他氏排斥の一つ。

858年:屋号は【やごうは858】良房、摂政となる

⇒ 藤原良房が清和天皇の摂政となる。

866年:野郎ろく【やろうろく866】でなし大納言が放火

⇒ 応天門の変。大納言伴善男(トモノヨシオ)が応天門に放火。バレて伊豆に流される。
このとき、藤原良房が正式な摂政となる。

884年:やっぱし【884】基経、関白になる

⇒ 陽成天皇にかえて光孝天皇を擁立し、藤原基経が事実上の関白となる。

887年:母泣【ははな887】き基経マジ関白

⇒ 宇多天皇が即位し、藤原基経が正式に関白となる。

888年:ややや!?【888】俺が阿衡(あこう)だと?

⇒ 阿衡の紛議。宇多天皇の詔に『阿衡とする』と書かれた基経がヘソを曲げて政務がストップ。なぜか橘氏が表舞台から消える。

894年:白紙【はくし894】に戻した遣唐使

⇒ 遣唐使の停止。菅原道真が宇多天皇に建議した。

901年:暮れ行【くれい901】く道真、大宰府へ

⇒ 昌泰の変。菅原道真が大宰府へ左遷された。

905年:くれ!【905】古今和歌集!

⇒ 醍醐天皇の命令で古今和歌集の編纂。紀貫之、紀友則らによって選ばれた勅撰和歌集。

935年:組ご【くみご935】と戦う平将門

⇒ 平将門の乱。自らを新皇と称し反乱を起こしたが、藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧された。
平将門の乱・藤原純友の乱をあわせて承平・天慶の乱と呼ぶ。

936年:く~寒っ!【936】高麗が朝鮮統一!

⇒ 高麗が朝鮮半島統一。建国は918年。

939年:臭く【939】ないの?純友の船

⇒ 藤原純友の乱。四国で反乱を起こす。平将門の乱・藤原純友の乱をあわせて承平・天慶の乱と呼ぶ。

960年:苦労【くろお960】するね~宋建国

⇒ 宋(北宋)の建国。

969年:黒く【969】塗りつぶせ安和の変(あんなのへん)

⇒ 安和の変。藤原氏による他氏排斥最後の事件。以降、摂関政治が定着する。

979年:苦も無く【979】宋が中国統一

⇒ 宋(北宋)が中国を統一。

1016年:遠い昔【1016】に道長摂政

⇒ 藤原道長が摂政になる。翌年、太政大臣となる。摂関政治全盛。

1017年:遠いな【1017】頼道摂政

⇒ 藤原頼道が摂政となる。1019年に関白となる。

1019年:遠い国【とおいく1019】から刀伊の入冠(といのにゅうこう)

⇒ 女真族と見られる刀伊が対馬・壱岐から博多湾に侵攻。藤原隆家によって撃退。

1028年:当時は【とうじは1028】坂東(ばんどう)忠常の乱

⇒ 平忠常の乱。東国の武将、平忠常が起こした反乱。

1051年:人が恋【1051】しい前九年

⇒ 前九年の役。陸奥の安部頼時が国司に反抗。源頼義、義家(八幡太郎)父子が鎮圧。

1052年:戦後に【1052】広がる末法思想

⇒ 末法最初の年。釈迦の入滅後、1052年から末法の世に入るという思想。

1053年:人込み【1053】すごい鳳凰堂

⇒ 平等院鳳凰堂の完成。頼道が京都の宇治に建てた阿弥陀堂の代表例。

1069年:登録【1069】抹消!?荘園整理

⇒ 延久の荘園整理令。後三条天皇が記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)を設置し、荘園の整理を開始。

1069年:登録【1069】抹消!?荘園整理

⇒ 延久の荘園整理令。後三条天皇が記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)を設置し、荘園の整理を開始。

1083年:人の闇【1083】は後三年の役

⇒ 清原氏の相続争いに源義家が介入。藤原清衡(奥州藤原氏)を助けて清原氏を滅ぼした。

1086年:人病む【1086】院政、白河上皇

⇒ 院政の開始。上皇は院とも呼ばれたことが由来。天皇に代わって政務を行う政治。

1124年:人々に喜び【ひとびとによ1124】伝える金色堂

⇒ 中尊寺金色堂の完成。奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)のミイラが安置されている。

1156年:いい頃【1156】起こった保元の乱(ほうげんのらん)

⇒ 崇徳上皇と後白河天皇の対立に藤原氏、源氏、平氏が加わり乱に発展した。
天皇側の勝利に終わり、天皇側の平清盛や源義朝らの武士が台頭するきっかけとなった。

1159年:いい語句【1159】見つけた平治の乱(へいじのらん)

⇒ 平清盛が源義朝を破る。これ以降、平氏政権が確立した。

1167年:いい胸毛【1167】の大臣清盛

⇒ 平清盛が太政大臣に就任。初の武家出身太政大臣となった。

1173年:いい波【1173】に乗って日宋貿易

⇒ 神戸の大輪田泊を拡張し日宋貿易開始。(正式に国交を開いた)

1177年:いいな、何【1177】でもバレバレ鹿ケ谷

⇒ 鹿ケ谷の陰謀。後白河上皇の側近らが企てた平氏打倒計画が途中で露見して失敗。

1179年:いなく【1179】なったよ後白河

⇒ 後白河法皇の院政を停止。清盛は後白河法皇を幽閉し、権力を確立した。(治承の政変)

1180年:いい矢を【1180】放つ、頼政挙兵

⇒ 源頼政の挙兵。後白河法皇の皇子である以仁王(もちひとおう)が平氏打倒を企て全国に令旨を発した。
これをきっかけに各地で源氏が挙兵。

1185年:いい箱【1185】沈んだ壇ノ浦

⇒ 平氏の滅亡(壇ノ浦の戦い)。一の谷、屋島を経て壇ノ浦で源平最後の戦い。
安徳天皇は入水し、平家は滅亡。

1185年:いい箱【1185】置いた、守護地頭

⇒ 源頼朝が国ごとに守護、荘園・公領には地頭を設置。
守護は義経追討を理由とした。

1192年:いい国【1192】作ろう、鎌倉幕府

⇒ 鎌倉幕府成立。後白河法皇の死後、後鳥羽天皇によって頼朝は征夷大将軍に任命された。

1203年:人に押され【1203】執権時政

⇒ 源頼朝の妻、政子の父。北条時政は1203年に初代執権となり鎌倉幕府における専横を確立した。

1205年:いずれも豪華【いずれご1205】新古今

⇒ 新古今和歌集。後鳥羽上皇の命により藤原定家、家隆が編纂した勅撰和歌集。

1206年:いずれ無敵【いずれむ1206】のモンゴル帝国

⇒ チンギス・ハンがモンゴル民族を統一しモンゴル帝国が成立した。

1219年:いつ行く【1219】北条の執権政治

⇒ 鎌倉幕府は3代で源氏が絶え、4代目からは公家の子供が名ばかりの将軍となり、北条氏による執権政治がスタートした。

1221年:人に不意打ち【ひとにふい1221】承久の乱

⇒ 三代目源実朝の死後、後鳥羽上皇が倒幕を図って起こした事件。
執権北条義時は泰時、時房を派遣し鎮圧させた。
後鳥羽上皇は隠岐に流され、京都には六波羅探題が設置された。
北条政子による「尼将軍の演説」が有名。

1232年:一文に【ひとふみに1232】まとめた御成敗式目

⇒ 御成敗式目(貞永式目)の制定。
執権北条泰時によって定められた鎌倉幕府の基本法。
「頼朝以来の先例と武家社会の道理」をもとにして51ケ条が定められた。武家による最初の成文法。
御家人に裁判の決まりを示した。

1247年:一緒にしな【1247】いで三浦一族

⇒ 宝治合戦。北条時頼が三浦泰村一族を滅ぼした。

1249年:一気に良く【1249】なる評定衆

⇒ 評定衆の下に引付衆の設置。御家人の領地訴訟の裁判の迅速さと公正さをはかる目的。

1271年:いつ泣い【1271】た、元の成立

⇒ チンギス・ハンの孫、フビライ・ハンが元を建国。

1274年:い?荷無し【1274】で来たの?文永の役

⇒ 元寇最初の事件。執権北条時宗を中心に戦ったが、元軍の集団戦法や火薬の使用に悩まされた。暴風雨に助けられ撃退した。

1279年:一気になく【1279】なる南宋滅亡

⇒ フビライ率いる元により滅ぼされた。

1281年:い?荷がいっぱい【1281】なの?の弘安の役

⇒ 2度目の元寇。再び暴風雨に助けられ元軍を撃退した。2度の元寇で、御家人竹崎季長(スエナガ)の活躍を描いたのが「蒙古襲来絵巻」である。

1285年:人には強引【ひとにはご1285】内管領

⇒ 霜月騒動。御内人(ミウチビト)の代表である内管領(ウチカンレイ)平頼綱が御家人の安達泰盛とその一族を滅ぼした事件。以後、内管領の専権が強まり、北条貞時の時代に得宗(トクソウ)専制支配が確立した。

1297年:皮肉な【1297】永仁の徳政令

⇒ 執権北条貞時が発布。御家人が御家人から借金をした場合は20年、非御家人から借金をした場合は期限を限らず、土地の無償取り戻しを認めた。 その結果・・・。


1317年:いっさいな【1317】かった文保の和談(ぶんぽうのわだん)

⇒ 大覚寺統・持明院統から交互に天皇を立てることを約束した(両統迭立)。

1324年:秘密知【1324】られた、正中の変(しょうちゅうのへん)

⇒ 後醍醐天皇を中心に企てられた第1回目の討幕計画であるが途中で露見して失敗に終わった。
日野資朝(スケトモ)は佐渡に流されたものの、後醍醐天皇は処分を免れた。

1331年:いーさ最【1331】近、元弘の変(げんこうのへん)

⇒ 後醍醐天皇が企てた2度目の討幕計画。失敗して後醍醐天皇は隠岐に流された。
鎌倉幕府は持明院統(ジミョウイントウ)の光厳(コウゴン)天皇を擁立した。

1333年:一味散々【1333】鎌倉滅亡

⇒ 事実上の最後の執権北条高時は鎌倉を新田義貞に攻められ自殺し鎌倉幕府は滅亡した。
六波羅探題は足利高氏(のちの尊氏)に滅ぼされた。

1334年:いざ見よ【1334】建武の新政

⇒ 後醍醐天皇による建武の新政は、旧来の天皇親政。
恩賞が公家に厚く武士に少ないなどの理由で武士からの評判が悪かった。
足利尊氏の反乱で3年足らずで崩壊した。

1335年:いざ見事【1335】な中先代の乱(なかせんだいのらん)

⇒ 北条高時の遺児時行が、御内人の諏訪頼重らに擁立され、鎌倉幕府再興のため挙兵した反乱。
一時鎌倉を占領したが足利尊氏によって鎮圧された。

1336年:いざ見ろ【1336】建武式目

⇒ 建武式目の制定。足利尊氏によって発せられた新たな武家政権の政治方針。

1338年:瞳さわ【1338】やか、室町幕府

⇒ 足利尊氏が光明天皇(持明院統)から征夷大将軍に任じられ、室町幕府が成立した。

1350年:一味が困【1350】る、観応の擾乱(かんのうのじょうらん)

⇒ 足利家の内紛に端を発し、全国に波及した動乱。
1349年:高師直と足利直義との対立が表面化して、高師直が直義を引退させる。
1350年、直義派の面々が挙兵し実際に武力行使に入った。
1351年、高師直一族を滅ぼして尊氏と和睦。
1352年、尊氏が直義を討伐。
これらの抗争を「観応の擾乱」と呼んでいる(教科書などでは、実際に武力行使にいたった1350年を観応の擾乱としている)。
この観応の擾乱によって、軌道に乗りかけていた室町幕府の政権運営は頓挫し、
風前の灯火であった南朝は息を吹き返した。

1368年:勇むや【1368】つ、朱元璋の明建国

⇒ 朱元璋が元を北へ追いやり建国し、万里の長城以南の中国は明に統一される。

1378年:香りにいざなわ【1378】れ、花の御所

⇒ 花の御所を造営。花の御所は足利義満が造営した邸宅と幕府の総称。

1391年:いざ悔い【1391】はなし明徳の乱

⇒ 11か国の守護職を兼ね「六分一殿」と呼ばれた山名氏清を滅ぼす。
3代将軍足利義満が将軍権力の強化を目指して有力守護大名の弱体化を図ったもの。

1392年:いざ国【1392】統一南北朝

⇒ 南北朝の統一。
足利義満の斡旋により南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位するという形式で統一された。
以後は交互に天皇を出すことが定められたが守られなかった。

1399年:秘策苦【1399】しむ応永の乱

⇒ 守護大名の大内義弘が室町幕府に対して反乱を起こした事件。

1404年:投資をし【1404】ないで勘合貿易開始

⇒ 足利義満が倭寇と区別するため勘合を利用した貿易を始めた。(日明貿易)

1419年:いーよ行く【1419】応永の外寇(おうえいのがいこう)

⇒ 対馬に倭寇が集結したとの情報を得た李氏朝鮮軍が対馬を襲撃した事件。
「刀伊の入寇」からちょうど400年の年である。

1428年:石には【1428】碑文、正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)

⇒ 近江の馬借(バシャク)の蜂起をきっかけに起こった土一揆。
高利貸を営んでいた酒屋・土倉・寺院などを農民が襲った。
奈良市柳生町の石仏の傍に碑文が残っている。

1439年:人の世を裂く【1439】永享の乱

⇒ 鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立に際して、6代将軍足利義教が持氏討伐を命じた事件。
上杉憲実が足利持氏を滅ぼした。

1441年:い~よ良い【1441】将軍殺す

⇒ 嘉吉の乱(かきつのらん)。
播磨国の守護赤松満祐(みつすけ)が6代将軍足利義教(よしのり)を謀殺した事件。
その後、将軍の代替わりの徳政を求めて「嘉吉の土一揆」が起こった。

1457年:どうしてこんな【1457】コシャマインの戦い

⇒ 和人(渡党)に対するアイヌの武装蜂起。
現在の北海道函館市にあたる志濃里の和人鍛冶屋と客であるアイヌの男性の間に起きた口論がきっかけ。
渡島半島東部の首領コシャマインを中心とするアイヌが蜂起、
和人を大いに苦しめたが最終的には平定され、松前藩形成の元となった。

1467年:人の世空し【1467】き応仁の乱

⇒ 応仁の乱(~1477)。
東軍の細川勝元と西軍の山名持豊(宗全)の対立に、
将軍の継嗣と畠山、斯波家の家督争いが絡んでおこった大乱。
以降、幕府の支配地は山城国のみとなり、幕府権威は失墜し戦国時代となる。

1485年:意志はご【1485】立派、山城国

⇒ 山城の国一揆(~1492)。
南山城の国人や土民が両畠山軍の退却、寺社本所領の還付、新関の廃止などを要求。
8年間にわたって自治を行った
。自治の中心となった寺院が平等院である。

1488年:意地ははる【1488】ります、加賀国

⇒ 加賀の一向一揆。
一向宗の宗徒たちが加賀の守護、富樫政親を自刃に追い込み、約百年間にわたって自治を行った。
約百年後、織田信長は柴田勝家に攻めさせ、1580年に滅ぼされた。

1492年:いよっ国【1492】が見えるぜコロンブス

⇒ コロンブスがアメリカ大陸発見。
到達したのはアメリカ海域、サン・サルバドル島。

1498年:意欲は【1498】満々バスコ・ダ・ガマ

⇒ バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見。
ヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海した。

1503年:以後おさ【1503】まる朝鮮の倭寇

⇒ 通信符による貿易開始。
通信符(正式な貿易船の持つ証明書)による日本と朝鮮国(李朝)の貿易が開始された。

1510年:以後遠【1510】のく日朝貿易

⇒ 三浦の乱(さんぽのらん)。
朝鮮半島南部の三浦でおこった倭人居留民の暴動事件。
この乱によって日朝間の交通はいったん中断された。

1517年:以後非難【1517】なし、ルターの宗教改革

⇒ キリスト教世界における教会体制上の革新運動。
ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した。

1519年:行こう行く【1519】ぜ、マゼランの世界一周

⇒ マゼランがスペイン艦隊を率いて世界一周を達成
(出発が1519年、達成が1522年)。

1523年:以後積み【1523】込みは大内独占

⇒ 寧波の乱(にんぽーのらん / ねいはのらん)。
大内氏と結ぶ博多商人と、細川氏と結ぶ堺商人が、勘合の真偽などを巡って明の寧波で争った紛争。
これにより日明貿易は一時中断されたが、以降、大内氏が独占するようになった。

1536年:いっこも見向【1536】きされぬ日蓮宗

⇒ 天文法華の乱(てんもんほっけのらん)。
天台宗比叡山延暦寺の僧兵や衆徒が京都の日蓮宗(法華宗)寺院を焼き払った事件。
以後6年間、京都において日蓮宗は禁教となった。

1541年:以後良い【1541】結果、カルバンの宗教改革

⇒ ルターに影響されて各地で宗教改革が起こる。
カルバンはフランスで活動するが受け入れられずスイスに亡命し宗教改革を行い、
やがてジュネーブの支配者として神権政治を実施した。

1543年:以後予算【1543】食う、鉄砲伝来

⇒ ヨーロッパから種子島に鉄砲(火縄銃)が伝来した。
1542年説もあり。

1549年:以後よく【1549】伝わるキリスト教

⇒ キリスト教の伝来。
日本人アンジロー(弥次郎・弥二郎ともいう)の案内で、
スペイン人のイエズス会宣教師のフランシスコ=ザビエルによって鹿児島に伝えられた。

1560年:銃後群れ【1560】なす桶狭間

⇒ 桶狭間の戦い(愛知県)。
織田信長が今川義元を破る。
以後信長は全国統一に乗り出した。

1570年:非業な例【1570】姉川の戦い

⇒ 織田信長・徳川家康連合軍が姉川(滋賀県)で浅井長政・朝倉義景連合軍を破る。

1571年:人来ない【1571】延暦寺

⇒ 比叡山(京都~滋賀)延暦寺の焼き打ち。織田信長が浅井・朝倉軍と結ぶ延暦寺を焼き打ちする。

1573年:以後涙【1573】の室町滅亡

⇒ 織田信長が自ら擁立した室町幕府の15代将軍足利義昭を追放し、
室町幕府は滅亡した。

1575年:人、粉々【1575】長篠の戦い

⇒ 三河国の長篠(愛知県)で信長、家康の連合軍が武田勝頼と戦う。
信長軍の足軽・鉄砲隊が威力を発揮し武田の騎馬隊を大敗させた。
武田氏はのちに天目山(てんもくざん)の戦いで滅亡する。

1576年:行こー、成ろー【1576】安土城

⇒ 織田信長が琵琶湖東岸の安土山に安土城を築く。
1582年、本能寺の変の後に焼失。

1577年:以後何なり【1577】と楽市楽座

⇒ 織田信長が安土城下に楽市の制を敷く。
城下町の繁栄を目的として発布したものであり、
楽市は城下町を課税免除、自由交易の場とするために、
楽座は独占的な商工業座の解体を目的とした政策

1582年:十五夜に【1582】本能寺の変

⇒ 天下統一を目前にした織田信長が家来の明智光秀によって京都の本能寺で討たれる(自害)。
明智光秀は山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れ、逃亡中に殺された(三日天下)。

1582年:十五夜に【1582】本能寺の変の後に太閤検地

⇒ 「天正の石直し」ともいう
。全国的規模で検地を行い、京桝(きょうます)を定め、1段を300歩とし、土地の単位を石高に統一(度量衡を統一)
。この検地によって中世以来続いてきた荘園が完全に消滅した。

1582年:十五夜に【1582】太閤検地の後に少年使節

⇒ 天正遣欧使節の派遣。
九州のキリシタン大名の大友義鎮、大村純忠、有馬晴信が
宣教師ヴァリニャーニのすすめでローマ教皇のもとに少年使節を派遣した。

1583年:以後はさん【1583】ざん、賤ヶ岳

⇒ 賎ヶ岳(しずがたけ)の戦い。
近江国(滋賀県)の賤ヶ岳付近で行われた豊臣秀吉と柴田勝家の戦い。
織田信長の死後の主導権をめぐっての争いで,この戦いでやぶれた勝家は越前北庄に逃れた。
その後、秀吉軍に攻められて自殺。
秀吉は全国統一の基盤を築くに至った。
ちなみに七本槍が有名!

1584年:以後はしっ【1584】かり小牧長久手

⇒ 小牧・長久手の戦い。
豊臣秀吉に通じる3老臣を斬った織田信雄が徳川家康と同盟を結び、秀吉と断交する。
豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄連合軍とが小牧で対峙。
さらに長久手で合戦。
その後、秀吉と信雄は和議を結んだ。

1587年:以後はな【1587】らん、バテレン追放

⇒ バテレン(宣教師)追放令。
九州平定の直後、豊臣秀吉によって博多で発令された。
宣教師の20日以内の国外退去を命じたが、貿易は続けたので実効は少なかった。

1588年:以後は刃【1588】物禁止

⇒ 刀狩令、海賊取締令
。前者は百姓が刀などの武器を持つことを禁じた命令。
これによって兵農分離が進んだ。
後者は同日に発布した海賊鎮圧の命令。
海賊の取り締まりは、その地の領主の責任とされ、倭寇は消滅した。

1590年:一国は【1590】秀吉のもの

⇒ 豊臣秀吉が全国を統一。
四国、九州を平定後、秀吉は大軍で小田原城を包囲し北条氏政・氏直(うじまさ・うじなお)を降伏させた

1591年:以後悔い【1591】残る身分統制

⇒ 身分統制令。
武士が百姓、町人になることや農民の転業を禁止した法令。
身分制度の確立を意味する。

1592年:異国に【1592】出兵、文禄の役(ぶんろくのえき)

⇒ 最初の朝鮮出兵。
秀吉は自ら肥前名護屋(なごや)で指揮をとった。
日本軍は平壌まで進んだが明軍の来援もあり、停戦講和した。

1597年:以後苦難【1597】の慶長の役(けいちょうのえき)

⇒ 2回目の朝鮮出兵。
秀吉の病死を契機に撤退。
2度にわたる朝鮮出兵の際、活字印刷術が伝来した。
また多くの朝鮮人陶工が日本に連行され有田焼や薩摩焼などが始められた。

1600年:人群れ【1600】だらけ関ケ原

⇒ 関ヶ原の戦い。
美濃国(岐阜県)関ケ原で石田三成らの西軍と徳川家康の東軍が戦った天下分け目の合戦。
西軍勝利。

1603年:ヒーローおっさん【1603】江戸幕府

⇒ 江戸幕府成立。
徳川家康が征夷大将軍に任じられる。
1867年の15代将軍徳川慶喜による大政奉還まで、約260年間にわたる江戸時代が始まる。

1613年:一路勇【1613】んで欧州へ

⇒ 慶長遣欧使節の派遣。
仙台藩主伊達正宗がスペイン・ローマに派遣した使節。
正使は支倉常長で、ルイス=ソテロを案内役としメキシコを経てイスパニアに赴く。
さらにローマ法王に謁見。交易を目指したが失敗し1620年帰国した。

1614年:ヒーロー意志【1614】弱っ、大阪冬の陣

⇒ 京都の方広寺の鐘銘問題(「国家安康、君臣豊楽」の文字に対する文句)をきっかけに起こった豊臣氏と徳川氏の戦い。
大坂城の外堀を埋めるという内容でいったん和議を結んだ。

1615年:ヒーロー以後【1615】出ず、大阪夏の陣

⇒ 冬の陣の和議はすぐに破れ再び戦いが起こった。
豊臣方は敗れ、淀君と豊臣秀頼母子は自刃。
徳川氏の実権が名実ともに確立し、元和偃武(げんなえんぶ)と呼ばれる天下泰平の時代が到来した。

1615年:異論以後【1615】なし、武家諸法度

⇒ 武家諸法度(元和令)の制定。
江戸幕府の大名統制法。
家康が臨済宗南禅寺の僧侶、金地院崇伝(すうでん)に起草させ、二代将軍秀忠の名で伏見城で発布した。
違反には改易、転封、減封など厳しい処分を行った。 また同年に禁中並公家諸法度も制定された。
江戸幕府の朝廷・公家統制法であり、幕府が朝廷や公家の地位を確定した基本法である。
幕末まで改訂されなかった。

1616年:いろいろ【1616】考え平戸長崎

⇒ ヨーロッパ船の来航地を平戸と長崎に制限。

1623年:一路に去【1623】ったイギリス船

⇒ イギリスが日本を退去。
オランダとの貿易競争に敗れて自ら退去した。

1624年:一路西【1624】向くスペイン船

⇒ イスパニア(スペイン)の来航禁止。
キリスト教の布教に熱心であったイスパニアは、この年来航が禁止され日本を去った。

1627年:色に悩【1627】んだ紫衣事件(しえじけん)

⇒ 幕府が紫衣(紫色の法衣や袈裟)の授与を規制したにもかかわらず、後水尾天皇は従来の慣例通り、十数人の僧侶に紫衣着用の勅許を与えた
。これにより幕府と朝廷が対立。
結局、後水尾天皇は明正天皇に譲位。
朝廷に同調していた沢庵和尚は出羽に流された。

1633年:一路散々【1633】奉書船(ほうしょせん)

⇒ 奉書船以外の海外渡航禁止。
最初の鎖国令。
朱印状と老中が発行する奉書を持つ奉書船以外の海外渡航、
および海外居住5年以上のものの帰国を禁止した。

1635年:異論見事【1635】だ参勤交代

⇒ 参勤交代を制度化。
幕府の大名統制の制度で、諸大名を江戸に一定期間交代で参勤させた。
妻子は人質代わりに江戸住まいとした。
江戸・国元の往復や二重生活のために多大な出費が必要となり、諸藩の財政は困窮する。
一方、幕府は統制力を強めた。 なお 同年、武家諸法度の改正(寛永令)。
三代将軍家光が発令し、起草し たのは林羅山。

1637年:ヒーローみんな【1637】島原へ

⇒ 島原・天草一揆(~1638)。
九州の島原、天草地方を中心にキリシタンが反乱。
天草領主の寺沢氏、島原領主の松倉氏の圧政に反抗し、天草四郎時貞を総大将に原城にたてこもった。
オランダ船の援護を得て、老中松平信綱が鎮圧した。

1639年:いっ?無策?【1639】鎖国完成

⇒ ポルトガル船の来航禁止。
これによって鎖国が完成。
以降、長崎の出島を通じてオランダ、清とのみ貿易を行う。

1641年:いろよい【1641】返事で出島行き

⇒ オランダ人を出島に移す。
平戸にあったオランダ商館を長崎の出島に移し、出島を通じてのみ貿易を行った。
オランダからは毎年外国情勢を記した「オランダ風説書」が幕府に提出された。
オランダ商館長を甲比丹(カピタン)と呼ぶ。

1642年:ヒーロー世に【1642】出る清教徒革命

⇒ 清教徒革命(ピューリタン革命)。
1641年から1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命。
1638年の主教戦争から1660年の王政復古までを含み、
「大反乱」「三王国戦争」もしくは名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とも呼ばれる。

1643年:一番無視さ【1643】田畑禁止

⇒ 田畑永代売買禁止令。
富農への土地の集中と本百姓体制の維持のために発布された。
質入れという手段が利用され形骸化した。
明治維新後の1872年まで続いた。

1649年:色よく【1649】慶安御触書

⇒ 慶安の御触書。
三代将軍家光が農民統制のために出した法令。
農業を奨励するとともに、衣食住の制限など農民の生活の細部まで干渉した。

1651年:一番むごい【1651】由井正雪(ゆいしょうせつ)

⇒ 由井正雪の乱。
慶安の変とも呼ばれる。
兵学者の由井正雪が牢人の丸橋忠弥らと企てた反乱未遂事件。
事件の後、幕府はそれまでの武断政治から文治政治に転換し、牢人の発生を少なくするようになった。

1657年:疲労こんな【1657】明暦の大火

⇒ 明暦の大火。
振り袖火事とも呼ばれる。
江戸本郷の日蓮宗本妙寺が火元。
江戸城も類焼し全市の55%が焼けた
。明暦の大火の犠牲者を供養したのが回向院である。

1669年:ヒーローロック【1669】シャクシャイン

⇒ 北海道日高を中心に起きたアイヌ民族の蜂起。
シブチャリ(現,新ひだか町)アイヌの首長シャクシャインに率いられた二千余名のアイヌが松前藩の支配と収奪に抵抗して蜂起する。
奸計にあい鎮圧された。


1672年:色んな荷物【1672】を西回り

⇒ 西廻り航路が開かれる。
河村瑞賢が西廻り航路・東廻り航路を開く。
西廻り航路の船は北前船、東廻り航路の船は松前船と呼ぶ。

1680年:ヒーローは俺【1680】だ、綱吉さ

⇒ 徳川綱吉が5代目征夷大将軍になる。
天和の治、生類憐れみの令など。

1685年:犬は5代【1685】のお気に入り

⇒ 生類憐みの令。
5代将軍綱吉による極端な動物愛護令。
綱吉は子に恵まれず、子を授かるため戌年生まれにちなんで特に犬を大事にした。
護持院の僧隆光(りゅうこう)のすすめによる。
1709年廃止。

1688年:ヒーローババア【1688】名誉革命

⇒ 1688年から1689年にかけてイギリスの王、ジェームス2世を王位から追放し、
ジェームス2世の娘婿のウィレムとその妻であるメアリを新しい王として迎えたイギリスの革命 。
この過程において、大きな流 血がなかったので、この革命のことを名誉革命と呼ばれる。

1709年:フィナーレ苦【1709】労の新井白石

⇒ 新井白石の正徳の治。
6代家宣、7代家継に仕えた朱子学者、新井白石によって文治政治が行われた。
①貨幣の質を改善
②長崎貿易の制限(海舶互市新令)
③朝鮮使節の待遇簡素化
④閑院宮家の創設
⑤将軍を「日本国王」と呼称など。

1716年:いーな色【1716】いろ享保の改革

⇒ 享保の改革の開始。
8代将軍吉宗の幕政改革。
①新田開発
②上米の制
③足高の制
④年貢率引き上げ(定免法)
⑤質流し禁令
⑥相対済し令
⑦公事方御定書
⑧目安箱の設置
⑨大岡忠相の町奉行への登用など。
「米将軍」と呼ばれた。

1721年:非難に一喝【1721】目安箱

⇒ 目安とは訴状のことであり、様々な問題を町人や百姓などの要望や不満を人々に直訴させた。
回収された投書は将軍自ら検分した。
小石川養生所の設置や町火消の整備に繋がった。

1732年:人並みに【1723】米を食べたい享保の大飢饉

⇒ 江戸三大飢饉(享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉)のひとつ。
冷夏と害虫により中国・四国・九州地方の西日本各地、特に瀬戸内海沿岸一帯が凶作に見舞われた。

1742年:人でなしに【1742】公事方御定書

⇒ 公事方御定書(くじがたおさだめがき)の制定。
8代将軍吉宗の時代に大岡忠相(ただすけ)らが編さんした刑事、行政関係の法典。
上下2巻に分かれ、特に下巻は刑事、刑事訴訟関係で103条あり「御定書百箇条」という。

1758年:イナゴは【1758】宝暦(ほうれき)

⇒ 宝暦事件。
学者の竹内式部が桃園天皇に尊王論を講義した事件。
京都所司代は関係した公家を処分。竹内式部は追放された。

1767年:否むな【1767】明和(めいわ)

⇒ 明和事件。
尊王思想を説いた山県大弐、「宝暦事件」に連座し江戸攻略の軍法を説いた藤井右門が捕縛され処刑された。
イナゴは宝暦、否むな明和、セットで覚えよう。

1772年:非難って何?【1772】田沼意次(たぬまおきつぐ)

⇒ 田沼意次、老中となる。
田沼意次の政治は1786年まで続いた。
①印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)の干拓
②株仲間の奨励
③長崎貿易の拡大
④蝦夷地開発
⑤専売制拡大など
商業資本の積極的活用をはかったが、賄賂が横行した。

1774年:非難なし【1774】解体新書

⇒ 「解体新書」の刊行。
杉田玄白・前野良沢らが翻訳・刊行した。
原著はオランダの医学書「ターヘル・アナトミア」。

1775年:いーな泣こう【1775】アメリカ独立戦争

⇒ アメリカのイギリスからの独立戦争(~1783年)。
1776年、アメリカ独立宣言を発して、正式にアメリカ合衆国という国家を形作った。

1782年:稲葉に【1782】聞いた天明の大飢饉

⇒ 江戸三大飢饉(享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉)のひとつ。
岩木山・浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。
それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による更なる冷害をももたらした。

1787年:非難はな【1787】いの?寛政の改革

⇒ 寛政の改革の開始。
老中松平定信(白河藩主)による改革。
①囲米の制
②七分金積立
③石川島人足寄場の設置
④帰農令
⑤棄捐令
⑥寛政異学の禁などを実施した。
「白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」という歌が有名。

1789年:非難爆発【1789】フランス革命

⇒ フランス王国で起きた市民革命。
1787年にブルボン朝の王権に対する貴族の反抗に始まった反乱は、
1789年から全社会層を巻き込む本格的な革命となり、
政治体制は絶対王政から立憲王政、そして共和制へと移り変わった。

1790年:一発殴れ【1790】朱子学以外を学んだら

⇒ 寛政異学の禁(かんせいいがくのきん)。
松平定信が寛政の改革で行った学問の統制。
低下した幕府の指導力を取り戻すために、儒学のうち農業と上下の秩序を重視した朱子学を正学として復興させた。
また当時流行していた古文辞学や古学を「風俗を乱すもの」として規制を図った。

1792年:いーな国【1792】に帰れラクスマン

⇒ ロシアのラクスマンが根室に来航。
女帝エカテリーナ2世の命令により日本との通商を求めるために、
漂流民の大黒屋光太夫をともなって根室に来航した。
通商を求めたが、入れられず帰国した。
長崎入港の許可が与えられた。

1804年:威張れよ【1804】ナポレオン皇帝

⇒ 国会の議決と国民投票を経て、ナポレオンがフランス帝国皇帝の地位についた。

1804年:威張れよ【1804】レザノフ、長崎へ

⇒ ロシアのレザノフが長崎に来航。
アレキサンダー1世の命で長崎に来航した。
通商を求めたが拒否され、翌年に退去した。

1806年:いや、おろ【1806】し屋、おそロシア

⇒ 文化の撫恤令(ぶじゅつれい)。「文化の薪水給与令」とも言う。
日本に来航するようになったロシア船を穏便に退去させるため、
幕府は、ロシア船を発見した場合は説得して退去させること、必要な場合は薪・水・食糧を与えること、決して上陸させないことを申し渡した。
紛争防止のための対外融和策であった。

1808年:言われは【1808】間宮、樺太探検

⇒ 間宮林蔵が樺太を探検。
樺太が離島であることを確認した。
間宮海峡を命名したのはシーボルトである。

1808年:人は追わ【1808】れるフェートン号

⇒ フェートン号事件。
イギリスの軍艦フェートン号がオランダ船捕獲のため長崎湾内に侵入、強奪を働き退去した。
この騒動の責任をとり、長崎奉行の松平康英が自害した。

1825年:いやに強引【1825】打ち払い

⇒ 異(外)国船打払令。
清船、オランダ船以外はためらわず撃退することを命じたもの。
幕府はアヘン戦争の結果を聞くにおよび、
1842年には「天保の薪水給与令」を発してもとの「文化の撫恤令」の状態に戻した。

1828年:いやには【1828】にかむシーボルト

⇒ シーボルト事件。
シーボルトはオランダ商館付のドイツ人医師。
長崎の鳴滝塾で医学を教えていた。
帰国に際して日本地図を幕府天文方の高橋景保から入手・国外持ち出ししたことが発覚した。
これによっては国外追放になった。

1833年:人はさんざん【1833】天保の大飢饉

⇒ 天保の大飢饉。
江戸三大飢饉(享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉)のひとつ。
大雨による洪水や冷害による大凶作であった。
東北地方(陸奥国 と出羽国)の被害が最も大きかった。

1837年:嫌味な【1837】モリソン、浦賀に

⇒ モリソン号事件。
日本漂流民をともない通商と布教をめざして浦賀に来航したアメリカ船のモリソン号が日本側の砲撃を受ける。
ついで薩摩山川でも砲撃を受けて退去した事件。

1837年:嫌、見な【1837】いで平八郎

⇒ 大塩平八郎の乱。
陽明学者で大坂町奉行所の与力であった大塩平八郎が天保の飢饉に苦しむ民衆の救済を訴えた。
しかし聞き入れられず、蜂起した事件。
天領で幕府の役人が起こした事件だけに幕府に大きな衝撃を与えた。

1839年:人は裂く【1839】蛮社の獄(ばんしゃのごく)

⇒ モリソン号事件を批判した渡辺崋山・高野長英らを弾圧。
崋山は国もと蟄居後に自殺、長英は脱獄自殺した。

1840年:アヘンは嫌よ、お【1840】じさん

⇒ アヘン戦争。
アヘンの禁輸を巡って清(中国)とイギリスの間で起こった戦争。
清はイギリスに対して不平等条約を結ばざるをえなくなった。

1841年:人は良い【1841】水野忠邦

⇒ 天保の改革の開始。
老中水野忠邦が行った幕政改革。
①棄捐令
②株仲間の解散
③人返し令
④上知令をおこなったが、
上知令への反発が強く失脚した。

1842年:いや夜逃【1842】げしたい南京条約

⇒ アヘン戦争の講和条約で、清は香港をイギリスに割譲した。

1844年:嫌よ呼【1844】んでないウィレム

⇒ オランダ国王ウィレム2世の開国勧告。
幕府は鎖国が祖法であることを理由に拒否した。

1846年:いや~よろ【1846】しくビッドル

⇒ ビッドルが浦賀に来航。
アメリカ東インド艦隊司令長官のビッドルが浦賀に来航し、通商を要求。
幕府は鎖国を理由に拒絶した。

1851年:人は濃い【1851】太平天国

⇒ 太平天国の乱。洪秀全が清で起こした反乱。(~1864年)

1853年:人はゴミ【1853】かペリー

⇒ ペリーが浦賀に来航。
フィルモア大統領の国書を持って軍艦4隻で浦賀に来航し開国を求める。
翌年再び来航し日米和親条約を締結。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四杯で夜も眠れず」

1854年:一夜越し【1854】和親条約

⇒ 日米和親条約に調印。
日本側代表林あきら大学頭とペリーが横浜村で調印した。
下田、箱館を開港した。
同様の条約をオランダ、イギリス、ロシアとも締結。
当時の幕政の中心は老中阿部正弘であった。

1856年:いや殺【1856】すハリス

⇒ ハリス来日。
アメリカ総領事のハリスが下田に着任した。

1858年:人は怖【1858】っ、不平等

⇒ 日米修好通商条約に調印。
大老井伊直弼が勅許を受けないままハリスと調印。
①領事裁判権(治外法権)の承認
②関税自主権がない
など日本にとって不平等条約であった。
開港した五港は、『横は何』 と覚える。
よ・・横浜(神奈川) こ・・神戸(兵庫) は・・函館 な・・長崎 に・・新潟

1859年:人は獄【1859】に繋がれ安政

⇒ 安政の大獄。
井伊直弼の専制政治に反対する尊王攘夷派や一橋派の大名、志士らが処罰された事件。
徳川斉昭をはじめ、吉田松陰、橋本左内などが処罰された。

1860年:井伊は無礼【1860】と桜田門

⇒ 桜田門外の変。
安政の大獄に憤激した水戸・薩摩の脱藩浪士が登城中の大老井伊直弼を暗殺した事件。
幕府の権威は失墜した。
同年、五品江戸廻送令が発令。またヒュースケン暗殺事件 も。

1861年:人は無為【1861】か、南北戦争

⇒ 奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退。
アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。
1865年、南軍が降伏。

1861年:イヤ無理【1861】、和宮(かずのみや)

⇒ 和宮降嫁。
老中安藤信正による公武合体政策。
孝明天皇の妹和宮と将軍家茂が結婚。
同年、東禅寺事件。

1862年:いや~ムズ【1862】いわ、生麦事件

⇒ 薩摩藩主島津久光の行列が、神奈川の生麦村付近で行列の直前を騎馬で横切ったイギリス人を殺傷した事件。
幕府はイギリスの賠償要求に応じたが薩摩藩は応じず、翌年の薩英戦争に発展した。
同年、坂下門外の変。

1863年:一夜無残【1863】薩英戦争

⇒ 前年の生麦事件の報復のためイギリス艦隊が鹿児島沖に現れて交戦。
薩摩は攘夷の無謀を理解し、講和した。
これをきっかけに、逆に薩摩とイギリスは接近した。

1864年:人は無視【1864】する下関

⇒ 下関事件。
長州藩による外国船砲撃事件の報復と関門海峡通行の安全確保のため、
英・仏・米・蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃、砲台を占領した。
この結果、長州藩では開国を主張する勢力が成長する。

1866年:いーぱるる【1866】薩長同盟

⇒ 薩長両藩は土佐藩出身の坂本龍馬らの仲介のもとに対立を解消し、討幕のため提携の約を結んだ。
京都の薩摩藩邸で薩摩藩側から小松帯刀、西郷隆盛、
長州藩側から桂小五郎らがそれぞれ代表として会見した。

1867年:人食(は)むな【1867】?ええじゃないか

⇒ ええじゃないかの乱舞。
東海道・近畿を中心に起こった大衆の乱舞。
伊勢神宮のお札が降ったという噂が発端となって、
民衆は「ええじゃないか」の繰り返しの入った歌を歌って踊り狂い、
富豪の家に押し入っては金品を奪い取った。

1867年:人はむな【1867】しい大政奉還

⇒ 大政奉還と王政復古の大号令。
十五代将軍徳川慶喜が土佐の山内豊信らの意見を受け入れ、政権を朝廷に返上。
「王政復古の大号令」が出される。

1868年:1つやろーや【1868】ご誓文

⇒ 五箇条の御誓文。
明治天皇が神に誓う形式で発布された明治新政府の基本方針。
由利公正(きみまさ)、福岡孝弟(たかちか)らが起草・修正し、木戸孝允が加筆修正した。
「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ。」

1868年:いー野郎は【1868】戊辰戦争

⇒ 王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、
旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。
1869年、明治新政府が同戦争に勝利。

1869年:一夜ロック【1869】の版籍奉還

⇒ 諸藩主が土地(版)と人民(籍)の支配権を朝廷に返上。
旧藩主を知藩事として旧大名領の支配を継続させた。

1871年:藩と言わない【1871】県と言う

⇒ 廃藩置県。
旧藩を廃止し全国を明治新政府の直轄地とする政策。
薩摩・長州・土佐の藩兵で組織した御親兵(ごしんぺい)の武力を背景におこなう。
旧藩の債務は新政府が引き継いだので大きな抵抗はなかった。

1871年:ダメと言わない【1871】日清修好

⇒ 日清修好条規。
相互に領事裁判権を認める最初の対等条約。

1872年:イヤ何【1872】より教育だ

⇒ 学制の公布。
フランスを参考にした最初の近代的教育制度。
全国を8大学区に分け、その下に中学区、小学区を設置。
当時の社会状況に適合せず1879年の教育令により廃止となった。
同年、新橋-横浜間に鉄道が開通。

1873年:嫌な3【1873】%地租改正

⇒ 明治政府が財政基礎の確立のため施行した土地、租税制度の改革。
土地の所有者に地券を発行し、地価の3%を現金で納めさせた。
同年、徴兵令が出された。

1873年:嫌な3【1873】人、征韓論

⇒ 朝鮮・満州の土地獲得を説く征韓派と内地優先派(洋行派・伊藤博文・大久保利通ら)が対立。
征韓派が敗れ、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平らが議員辞職した。
この出来事を「明治六年の政変」という。

1874年:いー話し【1874】の民撰議院

⇒ 民撰議院設立建白書。
征韓論にやぶれて下野した板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣らが太政官左院に提出。
自由民権運動のきっかけとなる。

1875年:嫌な交換【1875】樺太千島

⇒ 樺太千島交換条約。
1855年の日露和親条約では樺太は両国民雑居の地となっていた。
この条約で樺太はロシア領、千島は日本領と確定。
日本側の代表は榎本武揚
。列強諸国と対等の立場で結んだ最初の条約。

1875年:嫌なこ【1875】と、江華島事件

⇒ 日本の軍艦が朝鮮の漢江河口の江華島付近で示威行動をおこない、砲撃を受けた。
日本は永宗城を占領。
その結果、翌年日朝修好条規を締結。

1876年:嫌な無【1876】関税、日朝修好条規

⇒ 江華島事件のあと締結。
①釜山・仁川・元山の開港
②日本の領事裁判権の承認
③無関税特権の獲得
など朝鮮にとって不平等条約であった。

1877年:嫌な内乱【1877】西南戦争

⇒ 征韓論に敗れて下野していた西郷隆盛を総大将に鹿児島士族を中心とする不平士族の反乱。
徴兵令によって組織化された近代的な新政府軍に敗北した。
不平士族の反乱としては最大・最後の事件であり、以後反政府活動は言論を中心に行われるようになった。

1879年:嫌な苦【1879】学生じゃない教育令

⇒ 1872年の学制に代わって制定された。
当初はアメリカ流の自由主義的教育を理想とした。

1881年:人はワイ【1881】ワイ国会解説

⇒ 国会開設の勅諭。
民権運動が高揚しつつあったため、
政府は国会の解説を約束して、運動の尖鋭化を抑えようとした。

1884年:人は走【1884】る、秩父事件

⇒ 松方正義のデフレ政策で各地に騒動が起こっていた。
埼玉県秩父では農民が困民党(こんみんとう)を組織し、自由党左派の指導で蜂起。
政府は軍隊を動員して鎮圧した。
自由党左派の激化事件の1つである。
同年、華族令制定。

1885年:ひややっこ【1885】が好きな伊藤博文

⇒ 内閣制度発足。
伊藤博文が初代の内閣総理大臣に就任。
太政官制に代わって組織された最高行政機関。
内閣総理大臣は天皇が指名した。

1886年:人は病む【1886】、ノルマントン号事件

⇒ イギリス船ノルマントン号が沈没し、イギリス人乗員はほぼ全員生存、日本人乗客は全員が溺死した。
乗員が乗客を取り残して脱出したという疑念が浮かんだが、
この事件に関して日本に裁判権がなく、イギリス領事館は無罪を言い渡したので日本の世論が反発。
この事件以降、不平等条約撤廃の動きが高まった。

1889年:いち早く【1889】発布、大日本帝国憲法

⇒ 大日本帝国憲法の発布(2月11日)。
君主権の強いプロシア憲法を模範として制定された。
伊藤博文を中心に井上毅、金子堅太郎、伊東巳代治らが加わり最終草案が完成し、
秘密のうちに枢密院で審議され、天皇によって欽定憲法として公布された。

1890年:一夜くれ【1890】教育勅語を発布するから

⇒ 教育の指導原理を示す勅語。
儒教的な道徳思想を基礎に、家族国家観に立ち天皇制の強化をはかった。

1890年:一夜くれ【1890】議会を始めるから

⇒ 第1回帝国議会。
第1回の衆議院選挙がおこなわれ、帝国議会が開会。
帝国議会は勅選の議員で構成される貴族院と選挙で選出される衆議院で構成。
選挙権は満25歳以上の男子で直接国税15円以上納める者(全人口の約1.1%であった)。

1891年:いわく一つ【1891】の大津事件

⇒ ロシアの皇太子ニコライ=アレクサンドロビッチ(後のニコライ2世)が警備の巡査津田三蔵に斬られ負傷。
政府は死刑にしようとしたが大審院院長の児島惟謙(いけん)は無期徒刑を宣告。
司法権の独立を守った。
同年、内村鑑三不敬事件、足尾銅山鉱毒事件。

1894年:人は苦し【1894】いの、農民戦争

⇒ 甲午農民戦争(東学党の乱)。
日清戦争の契機となった朝鮮の農民反乱。
東学とは西学(カトリック)に対する民族信仰で東学党と呼ばれた宗教団体が農民一揆と結合。
朝鮮政府は鎮圧できず日清両国が出兵し戦争に発展した。

1894年:人は苦し【1894】いし、日清戦争

⇒ 甲午農民戦争をきっかけに朝鮮の支配権をめぐって日本と中国(清)が戦った。
日本が勝利し、「眠れる獅子」と呼ばれた清が敗れた。
翌年、下関条約で講和。

1894年:人は苦し【1894】かったから治外法権撤廃

⇒ 陸奥宗光外相によって日英通商航海条約が締結され、
不平等条約の内容の1つであった治外法権(領事裁判権)の撤廃に成功した。

1895年:違約ご【1895】めんね下関条約

⇒ 日清戦争の講和条約。
日本の全権は伊藤博文、陸奥宗光。
清国の全権は李鴻章。
①清国は朝鮮が独立国であることを認める
②遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲
③賠償金(2億両)など。

1895年:違約ご【1895】めんだ三国干渉

⇒ ロシア・ドイツ・フランスの三国が下関条約で日本の領有となった遼東半島の清国返還を勧告。
日本はやむなく受諾し、代償として3000万両を取得。
臥薪嘗肝の合い言葉で世論が高まった。

1897年:いや苦難【1897】の金本位

⇒ 金本位制の確立。
金本位制とは金貨を本位貨幣とする制度。
1871年に新貨条例を定めて金本位制を採用していたが不徹底で、
1897年に日清戦争の賠償金を準備金にあてることで確立できた。

1898年:飛躍は【1898】隈板(わいはん)内閣で

⇒ 隈板内閣成立。
第一次大隈重信内閣のことで、板垣退助が内相として入閣したので隈板内閣と呼ばれる。
我が国最初の政党内閣。
憲政党が第3次伊藤博文内閣のあとを受けて組織した。

1899年:人は汲々【1899】義和団の乱

⇒ 義和団の反乱が山東省に起こり、「扶清滅洋(ふめつしんよう)」を唱えて、
清国政府の支援のもとに北京の列国公使館を包囲。
列国は出兵し北京議定書を結ぶ。
日本では北清事変と呼んだ。 (~1900年)

1901年:勢い【1901】いいぜ八幡製鉄所

⇒ 八幡製鉄所の操業開始。
日清戦争の賠償金をもとにドイツの技術を導入して建設。
中国の大冶(ターイエ)の鉄鉱石、筑豊炭田の石炭(のち満州の撫順炭田の石炭)を利用した。
重工業発展の基盤となる。

1902年:日暮れに【1902】結んだ日英同盟

⇒ 日英同盟を締結。
ロシアの南下政策に対抗するため、日本がイギリスと結んだ同盟。
第一次世界大戦では日本は日英同盟を理由に参戦。
ワシントン会議の四ヶ国条約によって破棄された。

1904年:銃くれよ【1904】日露戦争するから

⇒ 朝鮮の支配権をめぐって日露が対立し戦争に発展。
仁川沖海戦で開戦した。
翌年、アメリア大統領ルーズベルトのあっせんによってポーツマス条約で講和した。 (~1905年)

1904年:銃くれよ【1904】日露戦争するから

⇒ 朝鮮の支配権をめぐって日露が対立し戦争に発展。
仁川沖海戦で開戦した。
翌年、アメリア大統領ルーズベルトのあっせんによってポーツマス条約で講和した。 (~1905年)

1905年:民衆怒【05】った日比谷焼き打ち

⇒ 日比谷焼き打ち事件。
ポーツマス条約に反対するグループが集会後、条約破棄を叫んで暴動化。
政府は東京に戒厳令をしいて軍隊を出動させた。

1909年:塾遅れ【1909】てる伊藤暗殺

⇒ 伊藤博文が暗殺される。
初代の韓国統監であった伊藤博文はハルビン駅頭で、
韓国併合に反対する韓国の青年、安重根に暗殺された。

1910年:悔いを【910】残すな韓国併合

⇒ 前年の伊藤博文の暗殺をきっかけに日韓併合条約を調印。
1945年まで朝鮮総督府による植民地支配をおこなう。
初代の総督は寺内正毅(まさたけ)。
創氏改名、神社参拝などの皇民化政策を進めた。

1910年:悔いを【910】残すか大逆事件

⇒ 無政府主義者による明治天皇暗殺計画という理由で幸徳秋水ら26名を起訴。
翌年全員が有罪とされ、幸徳秋水ら12名が死刑になった。

1911年:低い位【1911】置で辛亥革命

⇒ 清朝を倒し、中華民国を建てた中国の革命。
孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で起こした反乱がきっかけとなった。
翌年、中華民国が成立。

1911年:低い位【1911】置から対等に

⇒ 関税自主権を回復。
小村寿太郎外相が日米通商航海条約改正に成功し、関税自主権を完全に回復。
これによって江戸時代の末期に結ばれた不平等条約が改正された。
同年、工場法公布。

1912年:得意に【1912】なります護憲運動

⇒ 第1次護憲運動。
第二次西園寺公望内閣のあと内大臣の桂太郎が三度目の組閣をすると、
「閥族打破、憲政擁護」をスローガンに数万の民衆が議会を包囲して辞職を要求するまでに発展。
立憲政友会の尾崎行雄、立憲国民党の犬養毅らが桂内閣を打倒した。
大正政変とも呼ぶ。

1914年:行く意思【1914】あるの?第一次世界大戦

⇒ 第一次世界大戦がはじまる。
サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発。
日本は日英同盟を理由に参戦し、ドイツが支配する膠州湾や青島を占領した。
さらに中国の袁世凱政府には対華二十一か条の要求を突きつけた。(~1918年)

1915年:得意ご【1915】り押し21ヶ条

⇒ 対華二十一カ条の要求。
第二次大隈重信内閣の加藤高明外相が中国における利権拡大のため袁世凱政府に要求した。
山東省のドイツ権益の譲渡などを求め5月9日に16ケ条を承認させた。

1917年:得意な【1917】革命、ロシアで起こる

⇒ ロシア革命(3月革命、11月革命)。
3月革命でロマノフ王朝が倒れロシア帝国が崩壊したが、
新政府は戦争を継続したのでレーニンを中心に11月革命が起こった。

1918年:行くの嫌【1918】シベリア出兵

⇒ 日米英仏がチェコ兵の救出を名目に出兵。
日本のみ1922年まで出兵を継続した。
これをきっかけに、日本国内では米の買い占めがおき米価が急騰。
同年、米騒動が発生した。

1918年:ひどく言わ【1918】ない原敬

⇒ 原敬の本格的な政党内閣。
寺内正毅のあと立憲政友会の原敬が組閣。
日本最初の本格的政党内閣。
在任中、ベルサイユ条約調印、国際連盟加盟などを行ったが普通選挙には反対した。
原敬は爵位を持たず「平民宰相」と呼ばれた。

1919年:行く行く【1919】フランス、ベルサイユ

⇒ ベルサイユ条約調印。
第一次世界大戦の講和条約としてパリ講和会議で結ばれたドイツと連合国の条約。
ドイツに多額の賠償金を課した。
日本は山東省の旧ドイツ権益の継承、南洋諸島の委任統治を認められた。
日本の全権は西園寺公望(さいおんじきんもち)。

1919年:行く行く【1919】朝鮮、三・一独立運動

⇒ 朝鮮の反日独立運動。
京城(ソウル)で朝鮮人民が独立万歳を叫んでデモを行い全土に拡大した。

1919年:行く行く【1919】中国、五・四運動

⇒ 日本が山東省の旧ドイツ権益を継承することを認めたベルサイユ条約に対して、
北京の学生が反対運動を起こした。
これをきっかけに、中国に反帝国主義、愛国運動が広がった。

1919年:行く行く【1919】ドイツのワイマール憲法

⇒ 第一次世界大戦敗北を契機として勃発したドイツ革命によって帝政ドイツが崩壊し、
その後に制定されたドイツ国の共和制憲法
。社会権を認めるなど民主的な憲法であることが特徴。

1920年:特に礼【1920】する国際連盟

⇒ 国際連盟の成立。
アメリカ大統領ウィルソンの提唱で設立された。
本部はスイスのジュネーブ。
発足当初の常任理事国は英・仏・日・伊。
事務局次長は新渡戸稲造。

1921年:行くに行【1921】けないワシントン

⇒ ワシントン会議。アメリカ大統領ハーディングの提唱によりワシントンで開かれた国際会議。日・米・英・仏・伊・中国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9か国が参加し、海軍の主力艦の制限、極東、太平洋問題を協議した。ワシントン海軍軍縮条約、四カ国条約、九カ国条約を結ぶ。日本代表は加藤友三郎、幣原喜重郎、徳川家達(~1922年)。

1921年:国に【922】求める解法を

⇒ 全国水平社の設立。
部落解放を目的とした組織。
西光万吉らを中心に京都で設立され、水平社宣言を発表した。

1922年:国に【922】求めろ解法を

⇒ 全国水平社の設立。
部落解放を目的とした組織。
西光万吉らを中心に京都で設立され、水平社宣言を発表した。

1922年:国に【922】求めるソ連

⇒ ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連:USSR)の成立。
ソ連は当初ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4共和国ではじまり、
その後ウズベク・キルギス・トルクメンなどが加わり、
15共和国で構成された。 (1991年、ソ 連崩壊)

1923年:特にさん【1923】ざん関東大震災

⇒ 政府はモラトリアム(支払猶予令・30日間)を出し経済活動の混乱を防いだ。
震災の混乱の中で労働運動家、無政府主義者、社会運動家などが虐殺された。
震災の起こった9月1日は防災の日となった。

1924年:とっくに知【1924】ってる護憲運動

⇒ 第2次護憲運動。
貴族院を背景に清浦奎吾内閣が成立すると、
「特権官僚内閣反対、政党内閣確立」を唱え護憲三派が協力。
普通選挙の実施、貴族院改革を求める運動を起こした。
総選挙で勝利し、第一次加藤高明内閣が成立。

1925年:選挙に行く25【1925】才

⇒ 普通選挙法の成立。
加藤高明内閣によって実現した衆議院議員選挙法の改正。
納税資格制限を撤廃し、25歳以上の男子に選挙権、
30歳以上の男子に被選挙権を認めた。
同年、日ソ基本条約により日ソ間の国交樹立。

1925年:国ご【925】と弾圧、治安維持

⇒ 治安維持法の成立。
ソ連との国交樹立によって社会主義思想が広まるのを恐れたため、
社会主義者を取り締まることを目的として定められた。
国体の変革、私有財産の否認を目的とする結社を禁止した。
1928年には最高刑が死刑になった。

1927年:重苦に泣【1927】いた金融恐慌

⇒ 震災恐慌による震災手形の処理をめぐって鈴木商店、台湾銀行、十五銀行などが破産、休業。
若槻礼次郎内閣が倒れ、田中義一内閣がモラトリアムで収拾。
金融資本の集中をもたらす。

1928年:一気に8【1928】人、無産政党

⇒ 初の普通選挙実施。
1925年の衆議院議員選挙法改正(普通選挙法)に基づいて実施された。
無産政党員8名が当選した。
同年、パリ不戦条約。

1929年:苦肉【929】の策で世界恐慌

⇒ アメリカのニューヨークでの株価暴落をきっかけに世界が同時不況に突入した。

1930年:戦を【1930】裂けるロンドン会議

⇒ ロンドン軍縮会議。
イギリスのマクドナルド首相の提唱で開かれ、海軍の補助艦の総保有量を制限。
米:英:日=10:10:7とした。フランスとイタリアは反対し条約に加わらなかった。
同年、日本国内では統帥権干犯問題が起こった。

1931年:銃くさい【1931】満州事変

⇒ 奉天郊外の南満州鉄道の爆破(柳条湖事件)をきっかけに
東三省(奉天・吉林・黒龍江)を占領し、満州国として独立させた。
後に熱河省も占領。
国際連盟はリットン調査団を派遣。

1932年:いくさにに【1932】走る五・一五

⇒ 五・一五事件。
海軍の青年将校を中心とするクーデター。
犬養毅(いぬかいつよし)首相が暗殺された。
この事件によって、第一次加藤高明内閣以来続いてきた政党内閣が終わった。

1932年:いくさに【1932】なるよ満州国

⇒ 満州国の建国。
満州事変の後、日本は清朝最後の皇帝宣統帝(せんとうてい)溥儀(ふぎ)を執政に迎え、満州国を建国。
1934年には帝制とした。

1933年:いくさ見【1933】たくない国連脱退

⇒ 国際連盟脱退。
満州事変を調査したリットン報告書に基づいて、
国際連盟総会で対日勧告案が出され採択された。
これを不服とした日本代表は松岡洋右(ようすけ)はその場で退場。
同月、日本は国際連盟を脱退した。
同年、ドイツでナチス政権成立。

1933年:いくさ見【1933】ないでニューディール

⇒ ニューディール政策。
アメリカのルーズベルト大統領が世界恐慌を克服するために行った経済政策。
新規まき直し政策とも呼ばれ、公共事業をおこし、失業者を助けた。

1936年:いくさ無理【1936】だよ二・二六

⇒ 二・二六事件。
陸軍皇道派の青年将校を中心とするクーデター。
斎藤実(まこと)内大臣、高橋是清(これきよ)蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害。
この事件によって岡田啓介内閣は崩壊し、軍の政治的発言権が強化された。

1937年:いくさ長【1937】びく日中戦争

⇒ 日中戦争北京郊外で発生した蘆溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけにした日中間の戦争。
第一次近衛文麿内閣は戦線不拡大を表明したが、
次第に戦乱は拡大し全面戦争に突入した。 (~1945年)。

1938年:いくさは【1938】国家総動員

⇒ 国家総動員法の制定。
第一次近衛文麿内閣によって公布。
戦争遂行のため労務・資金・物資・物価・企業・動力・運輸・貿易・言論など
国民生活の全分野を統制する権限を政府に与えた法律。
議会の承認を経ずに勅令でおこなうことができるようにした。

1939年:いくさ苦【1939】しい第二次大戦

⇒ 第二次世界大戦。
ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が始まった。(~1945年)

1940年:行くよおれ【1940】たち日独伊

⇒ 日独伊三国軍事同盟。
日独伊三国のヨーロッパやアジアにおける「新秩序建設」に関して指導的地位を確認し、
第3国からの攻撃に対して相互援助を協定した。
これによって、日米の対立が決定的となる。
同年、大政翼賛会 会の発足(国民統制組織)。

1941年:行くよ1【1941】回、日ソ中立

⇒ 日ソ中立条約。
松岡洋右外相とソ連のモロトフ外相が調印。
ソ連は独ソ戦に備え、日本は北方の脅威を除き南進をすすめた。
ソ連は1945年4月に条約の不延長を通告。
8月には対日宣戦した。

1941年:行くよ1【1941】発、真珠湾

⇒ 太平洋戦争が始まる。
枢軸国(日・独・伊)VS連合国(米・英・ソ・中など)の戦争。
12月8日、日本海軍のハワイ(真珠湾)攻撃により開始。
ミッドウェー海戦の敗北で戦局が不利になり1945年8月ポツダム宣言の受諾で終結。
日本は大東亜戦争と称した。
開戦時の首相は東条英機。

1945年:ひどく汚【1945】れた、ヤルタ会談

⇒ クリミア半島のヤルタで開かれ、
アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが出席。
第2次大戦の戦後処理やソ連の対日参戦についても討議され、ヤルタ協定を締結した。

1945年:ひどく汚【1945】れて、戦争終わる

⇒ ポツダム宣言受諾。
7月26日,米・英・中3か国の首脳の名前で発せられた日本に無条件降伏を要求する共同宣言。
ソ連は8月8日対日宣戦とともにこの宣言に参加。
日本は8月14日これを受諾。
日本復興の基本的方針となった。
終戦時の首相は鈴木貫太郎。

1945年:ひどく汚【1945】れる、国際連合

⇒ 国際連合の発足。
サンフランシスコ会議で設立が決まる。
原加盟国は51カ国。

1945年:ひどく汚【1945】れない、農地改革

⇒ 第1次農地改革。
小作料金納化の実施と、不在地主の全貸付地および平均五町歩以上の在村地主の貸付地を、
小作人の希望によって強制的に譲渡させようとするものであったが、
不徹底であるとして農民組合が反対、
GHQからも批判を受けて実行不能となった。

1946年:ひどく喜【1946】ぶ、憲法発布

⇒ 日本国憲法の公布。
1946年2月GHQが幣原喜重郎内閣に原案を提示。
吉田内閣のもとで議会審議した。
1946年11月3日公布、1947年5月3日施行。

1945年:ひどく喜【1946】ぶ、憲法発布

⇒ 日本国憲法の公布。
1946年2月GHQが幣原喜重郎内閣に原案を提示。
吉田内閣のもとで議会審議した。
1946年11月3日公布、1947年5月3日施行。

1947年:得しな【1947】農民、農地改革

⇒ 第2次農地改革。
不在地主の全小作地と在村地主の1町歩(北海道は4町歩)を超える小作地を政府が強制的に買い上げ、
安く小作人に売却することで自作農を創設した。
これにより地主-自作農-小作農という身分制にも近い封建的社会制度も否定された。

1947年:得しな【1947】学生、教育基本法

⇒ 教育基本法公布。
教育勅語(1890年)の廃止のあと成立した戦後民主主義教育の中心となる法律。
同年、独占禁止法の制定。

1949年:一句よく【1949】できた中華人民共和国

⇒ 中華人民共和国の成立。
終戦後、再び内戦が起こり、毛沢東を中心に中華人民共和国が成立。
蒋介石の国民党は台湾に逃れる。




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